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2017-12-2 11:51
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今週の読書は一部に読み飛ばした本もあって計8冊!
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今週は、なぜか、大量に借りてしまって、純粋な経済書のようなものは少ないんですが、社会学的あるいは社会科学的な観点から経済を見たものが何点かあります。その他、専門外のノンフィクションとかエッセイは読み飛ばしてしまったものも含まれています。以下の通り計8冊です。もっとも、8冊とはいっても、新書と文庫で3冊に上りますから、新刊の単行本ベースでは5冊、ということになるのかもしれません。いずれにせよ、来週は少しペースダウンする予定ですが、米国経済統計のために営業日ならぬ読書日が1日多そうですので、それなりに読むかもしれません。

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まず、ライアン・エイヴェント『デジタルエコノミーはいかにして道を誤るか』(東洋経済) です。著者は米国生まれながら英国「エコノミスト誌」の編集者であるジャーナリストです。英語の原題は Wealth of Humans であり、アダム・スミスの『国富論』のもじりのつもりかもしれません。2016年の出版です。邦訳タイトルで気になったのは、著者は決してデジタルエコノミーが道を誤る、とは主張していない点です。ただ、かなり希少性を低下せて来た高等教育などの教育投資ではなく、振舞い方の総体としてのソーシャル・キャピタルのソフトな役割を重視し、また、デジタルエコミーの必然的な帰結かどうかは別の議論としても、格差や不平等の拡大がもたらされる、とは主張しているような気がします。スキル偏向型の技術進歩の結果として、ITを活用するごく一部のエリートは豊かになるが、ITで代替される圧倒的多数の労働者は豊かにならない、どころか、職を失う可能性まであるわけです。そのための一方策として、ベーシックインカムにチラリと言及されています。ジャーナリストらしく、取材の結果も含めて現状分析から要因を分解し、各種の懸念材料を並べた後で、最後に、将来展望という4部構成を取っています。特に印象的なのは、高等教育はもちろん、職業訓練なども含めて、いわゆる人的資本をフォーマルに形成する「教育」の役割については、かなり著者が懐疑的な点です。従来から、マシンとの競争に際しては人的資本の蓄積が提唱される場合が多かったんですが、まあ、コトここに来てはムダということなのかもしれません。そうではなく、マナーに近い印象を受けたソーシャルキャピタルを振舞い型の総体として定義し直し、そういった生産現場に必ずしも直結しない人間らしい社会的な振舞いの方を重視します。格差や不平等についても、ベーシックインカムを除けば、政府による分配の役割が必ずしも明確ではなく、なんだか、いろんな意味において、「気持ちの持ちよう」といわれて、私は肩透かしを食ったような気になってしまいました。

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次に、リチャード・サスカインド/ダニエル・サスカインド『プロフェッショナルの未来』(朝日新聞出版) です。著者は2人とも英国の研究者であり、専門分野は社会科学のようで、経済学というよりは社会学の方が近そうな気がします。同じ苗字なんですが、父と倅だそうです。英語の原題は The Future of the Professions であり、邦訳タイトルはほぼ直訳です。2015年の出版です。Professions は本文中では「専門家」あるいは「専門職」と訳されており、前者は個人を指す場合、後者はその集合体という形で使い分けられています。具体的な職業としては、多くの場合に資格の必要な士職業、すなわち、医師、弁護士、会計士・税理士、あるいはこういった資格を持つコンサルタント、さらに、宗教指導者や建築家も時により包含されています。要するに、外科医がメスを振るうといった例外はあるものの、専門的知識の中から何らかのソリューションを与えてくれる職業なんですが、決して相対で済ませる必要性はなく、往々にしてオンラインの向こう側にいる人工知能で代替できそうな職業、といえるかもしれません。そして、いわゆるIT化の進行、人工知能やロボット技術の実用化、ビッグデータの活用やIoTの進行などの技術的な進展の中で、こういった専門家の職業がどういう方向に進むのか、あるいは、進むべきか、といった分析を加えています。第1部で事実関係の観察結果を取りまとめ、第2部ではその理論的な背景を探り、第3部では将来展望について土地上げています。ただし、これらの専門家の職業分野では、経済学でいうところの「スーパースター経済学」が成立しそうな分野であり、先の図書の感想文でも取り上げた通り、格差や不平等の激化が避けられないように感じるんですが、本書ではそういった格差や不平等の視点はありません。実に、淡々と実際の専門家の仕事、というか、業務遂行のあり方について思考を巡らせ、その成果の受取りたる所得の格差などは視野に入っていないようです。専門家の仕事の実用性に重きを置いた分析といえます。結論としては、伝統的な専門職は解体され、多くの専門家がより高いパフォーマンスを発揮する人工知能などのマシンやシステムに置き換えられる未来は回避出来ない、と示唆されています。でも、それが悲観すべき事態であるかどうかは別の問題、とも解釈できるような気がします。

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次に、 トッド E. ファインバーグ/ジョン M. マラット『意識の進化的起源』(勁草書房) です。著者は米国の研究者であり、精神医学と解剖学が専門分野です。英語の原題は The Ancient Origin of Consciousness であり、含意は p.282 の訳者あとがきに記されています。2016年の出版です。ということで、童話やアニメなどで昆虫や動物が擬人化されて、人類と同じような意識をもって、しかも、おしゃべりや何やでコミュニケーションを取る、というのがありましたが、逆に、キリスト教的な世界などでは人類と動物は魂のあり方を主たる要因として峻別されていて、ダーウィン的な進化論ですらNGという原理主義的なキリスト教の世界観もあるらしいので、何とも、本書のテーマは私には興味深いところです。そして、結論としては、意識はおろか、感覚、例えば痛覚については、かなり進化した脊椎動物である魚類すら持っていない可能性が高い一方で、人類の発生以前の段階の生物ですら、進化の過程で意識を持つに至った可能性も同時に明らかにされています。邦訳の副題にもなっているカンブリア爆発による生物の多様化から、それまでの濾過食に加えて、捕食者と被食者が別れるようになり、特に後者の被食者が何らかの感覚を研ぎ澄まして捕食されないように進化を遂げる必要が大きくなったわけで、レンズ眼の獲得による視覚から、あるいは、聴覚や嗅覚などから危険を察知するようになり、ひいては意識の形成につながった、というか、意識を持てるような進化を遂げた、ということになります。それが、いつであるのか、どの種からなのか、については化石を見ても明らかではないような気がしますが、私のようなシロートでは理解できないような研究方法があるんだろうという気がします。私はキリスト教徒ではありませんが、意識というのはヒトしか持っていないと長らく直観的に理解して来たんですが、生物、というか、動物については意識の観点ではかなり平等性が高く、我々ヒトから見てかなり下等な動物でも意識を持ちうる可能性が、シロートながらほのかに理解できた気がします。でも、最初の方に提示された通り、意識の存在については「われ思う、ゆえに、われあり」といった哲学的なアプローチも可能だと思います。

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次に、レベッカ・ソルニット『ウォークス』(左右社) です。著者は米国西海岸在住で環境、政治、芸術など幅広く著述活動をしているライターです。取材記者の経験はないのかもしれませんが、ジャーナリストに近い活動と私は受け止めています。英語の原題は Wanderlust であり、歩くことに限ったわけでもなく、旅行一般に関する渇望感のような受け止めなんですが、確かに内容的には邦訳タイトルの方がいいように感じました。2000年の出版です。20年近くを経過しても内容的に陳腐化していないのかもしれませんが、付加すべきポイントはありそうな気もします。ノンフィクションというよりは、何らかの著者の思い入れも含めたエッセイではなかろうかと思います。本書は500ページを超えますし、この前に取り上げた専門外の『意識の進化的起源』とともに、かなり速読、というか、読み飛ばした本だった気がします。ということで、要するに、歩くことに関するエッセイです。英語の原題のように、移動を含めた旅行などではなく、「歩く」ということですので、旅行のような距離を必要とする移動を伴うものばかりではなく、幅広い観点から考察を加えています。まず、第一歩の第1部は思索がテーマだったりします。私の知り合いでも、考え事をする時は狭い範囲ながらも歩き回って思索を巡らす友人がいたりしますが、まあ、ハッキリいってオフィス勤務には向きませんし、思索のケースでも歩くこととは必ずしも連動しない人の方が多数派という気もします。さらに、第2部では庭園や原野といった場所を特定し、第3部では明示的に章のタイトルになっているのはパリだけですが、都市を歩くことに主眼を置き、最後の第4部ではこのエッセイ全体をコンクルードしています。エッセイですので、冒頭はルソー、さらにワーズワースとか、歩くことにまつわる文芸者の話題も豊富に取り上げられています。もちろん、著者の生まれ育った米国サンフランシスコをはじめとし、章タイトルにもなっているパリ、ベルリン、さらにいくつかのラテンアメリカの都市、最後にラスベガス、などなど各地の歩く人々にも焦点が当てられています。ただ、そういった歩く人々のバックグラウンドについては、かなり著者の恣意的な思い入れを込めて想像を膨らませている気がします。出版社のサイトには、書評を掲載したメディアの一覧があります。それなりの注目書なのかもしれません。

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次に、周防柳『蘇我の娘の古事記』(角川春樹事務所) です。作者は売り出し中の小説家です。この作品はこの作者の2作目の時代小説なんですが、1作目は「古今和歌集」の成立をテーマに、六歌仙を題材にした『逢坂の六人』であり、最近、文庫化されています。私もこの作者の作品の中では唯一読んでいたりします。ということで、本作品がこの作者の2作目の時代小説であり、中大兄皇子と中臣鎌足が蘇我蝦夷・入鹿親子を亡ぼした乙巳の変から天武天皇が大海人皇子のころに大友皇子を追放した壬申の乱までを描く古代史を題材にした時代小説です。だけでは何のことか判らないでしょうが、タイトルになっている我が国で初めて編纂された国史のひとつである『古事記』を口述した稗田阿礼の謎を追っています。小説として、主人公は渡来人の一族である船氏の長の船恵尺・山鳥の親子なんですが、その恵尺の子であり、山鳥の妹である盲目のコダマが稗田阿礼に同定されています。しかし、このコダマの生まれは決して明かしてはならない秘密であり、そのために最後の方で船山鳥は壬申の乱で命を落とします。う#xFF5E;ん、このコダマの出自だけは、小説の醍醐味を左右するネタバレになってしまうので書けないんですが、何とも、作者の素晴らしい発想の賜物だろうという気がします。蘇我入鹿の亡霊がコダマの命を助けるシーンもありますが、決して、ファンタジーではなく徹頭徹尾リアルな現実政治の中で『古事記』の伝承を位置づけています。各章の終わりの数ページだけ軽くグレーに色付けされた用紙に『古事記』に収録されている神話が語られる場面が挿入されています。これも印象的な作りになっています。私は時代小説はかなり好きで、主として江戸時代の侍を主人公に、封建時代の世襲の主の揺るぎない地位を背景に、家老などの執政官が思う存分にお家騒動を繰り広げる、というパターンがお決まりのものと考えてきましたが、この作者のように中世を飛び越えて古代に題材を取った時代小説もアリなのか、という気になっています。とてもオススメの時代小説です。

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次に、大竹文雄『競争社会の歩き方』(中公新書) です。著者は大阪大学をホームグラウンドとする経済学者であり、専門分野は労働経済学などのマイクロな分野です。その意味では、京都大学を退官した橘木先生と同じ分野といえるんですが、橘木先生がかなりリベラルというか、ゼロ成長まで含めて、現政権に批判的な論陣を張っているのに対して、大竹先生は現状肯定的な論を唱えている気がします。ということで、著者のあとがきにもある通り、過去2作の中公新書でも標準的な経済学に関するエッセイを取りまとめていて、それなりにためにもなれば、売れてもいるんですが、本書でも、必ずしもタイトル通りに競争に関するエッセイばかりではなく、幅広く経済学の現時点における到達点を踏まえて、できる範囲で難しくならず、しかも定量的な観測結果を中心に最新の経済学の研究成果を取りまとめています。私のように定年間際ですっかり不勉強になっているエコノミストには、こういったサーベイ論文のような平易な新書は有り難い限りといえます。ただ1点だけ注意を喚起しておくと、中身ではそれほど触れられてもいないんですが、タイトルにもなっている競争について、あるいは、最初のトピックにもなっているチケット転売問題について、私なりにコメントしておきたいと思います。すなわち、本書では、独占については芥川賞受賞の『火花』に関して、チラリと触れられているだけですが、競争の反対側は程度の差はあれ、独占だという点は忘れるべきではありません。身近なニュースで接するところでは学生の就職戦線がそうであり、昨今は人手不足で学生の売り手市場といわれますが、学生サイドで独占が発生していて、企業サイドで学生獲得の競争をしているわけです。チケット転売問題でも、高い価格で転売されるということは、超過需要が生じているのだから、チケット価格を引き上げて需要曲線に沿った需要量の低下により需給のマッチングが可能、ということで、それはそれで経済学の観点からは正しく、チケット価格を引き上げるということは、実は独占の超過利潤を取りに行く合理的な経済行動なわけですが、逆に、限界費用に基づく価格付けを行うのも経済厚生の観点からは合理性あると考えるべきです。そして、前者の独占による超過利潤を実現する高価格付けが、実に、新自由主義的な右派の経済学であり、後者の限界費用に基づく低価格付がリベラルな左派の経済学に近い、と考えるべきです。そして、本書の著者は前者の立場の経済学者であり、私は後者の左派のエコノミストなんだろうと思っています。

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最後に、文庫本2冊で、恩田陸ほか『2030年の旅』(中公文庫) 及び湊かなえほか『猫が見ていた』(文春文庫) です。タイトルから明らかな通り、『2030年の旅』は10年余り後の世界を展望した短編集であり、『猫が見ていた』は猫にまつわる短編集です。どちらも執筆陣が豪華、というか、私好みなんですが、収録作品を一応上げておくと、『2030年の旅』については、恩田陸「逍遙」、瀬名秀明「144C」、小路幸也「里帰りはUFOで」、支倉凍砂「AI情表現」、山内マリコ「五十歳」、宗田理「神さまがやってきた」、喜多喜久「革命のメソッド - 2030年のMr.キュリー」、坂口恭平「エッセイ 自殺者ゼロの国」の8編、すなわち、小説7本とエッセイ1本となっています。次に、『猫が見ていた』については、湊かなえ「マロンの話」、有栖川有栖「エア・キャット」、柚月裕子「泣く猫」、北村薫「『100万回生きたねこ』は絶望の書か」、井上荒野「凶暴な気分」、東山彰良「黒い白猫」、加納朋子「3べんまわってニャンと鳴く」の7本の短編で、解説代わりに「猫と本を巡る旅 オールタイム猫小説傑作選」が最後に置かれていますが、これはかなり内容的に怪しいと私は受け止めています。特に印象的な1篇ずつを選ぶと、『2030年の旅』では、過疎化が深刻な町をスリーフィンガーという企業が開発して、日本で一番インフラ整備された町へと変貌を遂げるという「里帰りはUFOで」が面白かったですが、先進IT企業とは、Googleの自動運転車のように、何でもやるんだろうというのがよく実感できましたし、失礼ながら、現時点での技術の先をそのまま一直線に伸ばしたような想像しやすいテクノロジーでしたので、難しさは感じませんでした。『猫が見ていた』では、作家アリスのシリーズの「エア・キャット」で、ル・ポールの財布の予言マジックのように、火村が被害者宅の本棚の漱石の『三四郎』を手に取ったら事件直前の時刻のレシートが出て来て、書店からの帰り道にある監視カメラの映像から犯人がすぐに捕まった、というストーリーなんですが、どうして『三四郎』なんだろうかという小さな謎に挑みます。なかなかの短編ミステリです。



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