所長さんのブログで
中国人の贈り物の注意点という文章があって、思わず納得してしまいました。中国に初めていって、中国と関係を持ち始めてから10年になりますが、私はいまだに中国の事が良く分かっていないと思うことばかりです。中国はとても広くて地域によって風習は異なっていますし、まして急速な経済成長の中で年齢によって中国の風習はかなり異なっています。特に高齢者とお付き合いする時は、古い中国の習慣をそのまま残しているので注意が必要だと思っています。贈り物もそのひとつでしょうか。
最近の日本人の若者であれば、それほど贈り物を重視しているとは思えません。親しい仲で贈り物をし合うのは都合が悪いぐらいに思っている人も居るほどです。私も、好きなものは自分で買うのが最も効率が良いと信じています。もちろん、相手から贈り物をされたら嬉しいですが、その反面で返すのが面倒だとかいろいろ考えてしまいます。私のように海外に出る機会が多くなればなるほど、移動する時の荷物は出来る限り少なくしたいので、誰にせよ贈るお土産などはなるべく持ちたくないというのも本音です。
中国人の贈り物の文化については、詳しくは上記にあげた所長さんのブログを見てください。日本人であれば、再利用された贈り物を受け取ったら、本当に失礼な!と思うかもしれませんが、中国人は高いものを何でも「財産」と考える傾向があるようですね。中国人にとってみると、贈り物というのは、気持ちのやり取りではなくて、お金のやり取りの傾向が強く出ているのだと思います。海外でブランド物などを購入して、それが自分に買ったものかと思いきや「贈り物」として保管などという事があり得ます。下手をすれば質屋にかけて金になる物を贈ったりしますね。さすがは「賄賂の国」と言えるのかもしれません。
実際には中国ばかりではなくて、日本でもバブルの時には、偉い人の倉庫にはとても入りきれないほどの贈り物が届いたといいます。最近の日本では、やり過ぎるといろいろな意味で不都合なので大っぴらにはやらないですね。あまり高いものだと、気持ちのやり取りという言い方が使えなくなってきていて、下手をすれば逮捕されてしまうかもしれないからでしょう。日本でも水面下ではそういう物も残っているかもしれませんね。
贈り物の意味を考えたい贈り物を頻繁にやり取りして、それを「財産のやり取り」と考えるのは良いのでしょうけど、それが行き過ぎると幸せを失うような気がします。私が初めて海外に行った時には、壁に飾る壁掛けを買ってきました。それは、同じものを数枚買ってきて、数人の親しい友人にだけ配ったのです。田舎で、周りの友達は誰も海外に行った事が無かったので、みんなとても喜んでくれて、ある友人も壁にずっとかけてくれていました。彼の部屋に遊びに行った時には、既に何年も前に買って来た壁掛けがいつもあって、買った側としては嬉しかったです。
東京に進学してからしばらくして、友人からサークルの合宿中にいきなり電話がかかってきて、彼が北海道で事故にあって、不幸ながら彼だけ帰らぬ人になったという事でした。ほんの1,2ヶ月前にあったばかりでした。遺骨を拾う所に立ち会った時にご両親が火葬する彼と一緒に入れてくれた少ない遺品が、この「壁掛け」でした。ご両親が入れた理由を説明してくれて、彼が最も大切にしてくれた物のひとつだったという事でした。贈った側の人も考えれる優しい人だったと思うのでした。あれから自分だけ年を重ねて既に10年がたって、失ったものは本当に大きかったと思います。
オスカーシンドラーから親衛隊への贈り物
シンドラーのリストという映画をご存知の方も多いと思います。スティーヴン・スピルバーグの最高傑作で、シンドラーがユダヤ人を救う為に親衛隊に物を渡すことによって工場を稼動させて、それで多くのユダヤ人が救われたという実話です。シンドラーが稼動させていたのは、平和な日用品を作る工場ではなくて、人を殺傷する為の兵器を含んだ軍需工場でした。この工場で作った兵器で、どれだけの人が殺されたかというのは、実は曖昧な訳です。
彼は、旧ドイツ軍に非常に多額の賄賂を沢山贈る事によって、工場内部である程度の自治権を確立していたという事です。シンドラー自身は、企業家としてユダヤ人を安い労働力と捉えていた(エミーリエ婦人談)ようですが、それだけでこれだけ多くのユダヤ人を救うことは出来なかったでしょう。日頃から旧ドイツ軍の親衛隊に多額の贈り物をして、良い関係を作れたのは、彼自身の優れた能力だったのだと思います。少なくとも終戦まで彼は工場を稼動し続ける事が出来ました。そして、最終的には、何とかユダヤ人の命を救い出しました。シンドラーの気持ちを想像すれば「軍需工場で稼いだ金だから、せめて人助けに使いたい」と思ったのだと思います。フィリップス社のフレデリック・フィリップスも同じような考え方であったと思います。
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