アメリカの大統領オバマ氏がノーベル平和賞を受賞する事になりました。何故、オバマさんがノーベル平和賞を受賞したのかは、多くの人が謎だと思っており、東国原英夫宮崎県知事も「あれ?ノーベル平和賞にオバマさん?プラハで演説しただけじゃないですか」という発言をしています。東京都の石原知事も「ノーベル賞は政治的なものだからね」と語って居ます。オバマ氏のノーベル平和賞の受賞に違和感を持ったのは庶民だけではない事が分かります。
アメリカは、広島、長崎に核兵器を投下して実際に核実験で人を殺した唯一の国です。その大統領が「平和に貢献した」というのには、あまりに違和感があるのは当然です。また、イラクやアフガンでの戦争も継続中であり、アフガンには増派を検討中です。2カ国で同時に戦争を行っており、多くの人を殺害している国家の大統領がノーベル平和賞を受賞出来るという事態は、ノーベルが生きていたならば涙を流して止めると思います。オバマ氏よりは、友愛をかかげる鳩山氏の方がはるかに平和に近いと思います。
核兵器の無い世界はもちろん重要ではありますが、その前に先ず目の前の戦争を止めるとか、核兵器だけでなく世界的な軍縮を推し進めるなどの「実績」を経てから受賞すべきだったと思います。しかし、もともとダイナマイトの発明者として戦争で得たお金が、こうして戦争大好きな国家の大統領の受賞へとつながるのは必然だったのかもしれません。非常に残念です。
決して高学歴とは言えない私がこういう記事を書くのはどうかと思いますが、学歴社会は既に機能不全に陥っていると思います。日本は、他の先進国・途上国と比較しても学歴社会と言えるほど学歴が重視される世の中でもありません。ある意味で高学歴の人に可愛そうな社会であり、しかし低学歴であってもチャンスある社会となっています。大手の会社であっても、低学歴だから入れないという訳でも無く、ある程度能力に応じて平等な待遇があると言えると思います。それは、日本のシステムの良さであると思います。高卒でも頑張り次第によっては、高いお給料を貰う事が可能です。
しかし、諸外国においては、学歴というものが絶対のパワーと威力を持ちます。先ず、学歴社会が階級社会化されており、学歴が無ければ将来は無いものと考えられています。米国においても、上流階級を形成する人の多くが高学歴で占められており、学歴社会は日本と比較にならないほどに浸透しています。しかし、問題なのは、学歴社会が社会で上手に機能しなくなるという事です。
日本では、リーマンショック以後の経済悪化に伴って、新卒の採用を控える動きが広がっています。採用の厳選化と言われており、正社員で新卒採用される新卒学生は、一般的な学生よりも非常に優秀であるとされています。企業側は、学生の時から既にある程度優秀であり、かつ企業のお話を良く聞くという効率の良い人材を求めています。そうすれば、教育費用なども少なく済むからです。
優秀でもわがままだと企業は扱いに困ってしまうので、出来れば優秀かつ企業の言うとおりに良く動く人材を欲しています。企業は良く「自発的に動く人材が欲しい」と言いますが、自発的にというのは、与えられた指示がどんな分かりにくいものであったとしても、確認するなどを行って最小限の時間で最高の状態に自分で仕上げて持ってきてくれるような若手社員が求められます。これは、つまり上司の指示がどんなに変なものでも、上司の思うような常態に仕上げて持っていかないといけない。もっと言えば、上司がバカでも、その尻をぬぐって何とかしてあげなきゃならない。
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